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お知らせ活動報告

事業委員会から「ふるさと大分訪問の旅」報告記

By 2010-10-0610月 14th, 2011No Comments

第10回 平成22年度「ふるさと大分訪問の旅」報告記

 『ふるさと大分訪問の旅』が誕生したのは、在京大分県人会(以下、県人会)70周年記念誌によると県人会が発足してまもない昭和9年、109名もの団体で5泊6日の大分旅行をしたと記されています。当時の大卒初任給が90円、東京~大阪の汽車賃が6円、米10kg 2円50銭、[もんぺ]が流行し、築地市場が開業、政治は軍部の力が強くなってゆく世情でしたが、故郷の旅、余程の魅力があったのでしょう!

戦中、戦後は旅行どころではなく、ふるさと旅行は中断しておりましたが、第2回目は、「今やもう戦後ではない」と言わしめた昭和39年、戦後初の「ふるさと大分訪問旅行」が計画されました。東京オリンピックが開催され、新幹線開業、名神高速道路開通といざなぎ景気を迎えた時期であります。

第3回は昭和41年、県人会は大分国体へ多大の寄付をし、大挙ふるさとへ応援旅行

第4回は昭和59年、神武景気のさかりで、直後に第1次オイルショックに見舞われます。

第5回は、バブル景気の終末平成2年で、ゴルフ全盛の時代16組63人参加の大コンペとなりました。

第6回は平成5年、前年12月に全国で最も遅く高速道路が県庁所在地まで開通し、東九州道、県南延伸の足がかりとなる時期でした。

第7回は平成10年、在京大分県人会創立70周年記念大会の企画でした。

時代の流れは大きく変化していました。

第8回は平成14年、デフレ宣言がなされ、景気拡大政策を開始し始めた時期です。故郷大分ではFIFAワールドカップが開催されましたが不況の影が忍び寄っていました。

第9回は平成18年、デフレが進行し景気回復の明かりの見えない時期でしたが、企画されました。各地で『お帰りなさい』の温かい言葉で迎えられ、歓待されました。

今年第10回は、在京大分県人会80周年を終えて4年振りの企画となりました。企画段階で最も議論になったことは「ふるさと大分訪問の旅」の中身でした。

末綱元在京公務員大分県人会幹事長と辻前在京大分県人会長の80周年記念誌の対談のなかで、県人会のあり方が語られています。

この対談の趣旨を踏まえて、観光とゴルフを楽しむ視点だけではなく、県人会として故郷大分にお手伝いできることを視つける旅にならないか、と話し合いました。具体的に踏み込んだ企画になりませんでしたが、2泊3日の旅、地域活性化に向け懸命に努力する自治体や各種団体、若い世代の起業者との交流が、ふるさと大分に対する応援団であったり、積極的情報源であったり、お手伝いの方向を模索できるのではないかとの結論でした。

9月9日 今日も厳しい暑さです。羽田空港第2ターミナルに定刻52名が集合。

羽矢会長のご挨拶で「ふるさと大分訪問の旅」がスタートしました。

八坂杵築市長(左)

定刻大分空港着、2台の観光バスに分乗して、空港から15分の住吉浜リゾートパークへ。静岡三保の松原と同じで、砂嘴による砂浜と松林の素晴らしいリゾート地です。この施設で大勢の障害者が働いています。八坂杵築市長から歓迎の挨拶をいただき、美味しい杵築みかんをいただきました。短い時間でしたが、障害者に優しい大分県を感じました。

高速道路が時間距離を短くしました。1時間30分程で九重“夢”大吊橋に着きました。総事業費約20億円でしたが、開業から3年、平成21年10月に入場者数が500万人に達しました。自然と調和のとれた素晴らしい景観で、発想の素晴らしさを感じました。

大分県には平成の大合併で町が九重町と、隣の玖珠町、日出町の3町になりました。しかし、村もあります。国東半島の姫島村です。全国に村はまだ184あります。

“夢”大吊橋を後にして美しい主要地方道11号線を走り、瀬の本峠を越えて、阿蘇くじゅう国立公園内に位置する国民宿舎久住高原荘が今夜の宿泊地です。

首藤竹田市長

久住高原荘では竹田市と豊後大野市の皆さんに出迎えられました。今夜の交流パーティの準備に忙しく、お互い親しくご挨拶ができませんでした。

県人会の55名と竹田市、豊後大野市から市議会初日にもかかわらず首藤市長、橋本市長、議長はじめ観光協会役員、地域活性化に取り組む方々、約30名の参加を得て交流会が始まりました。両市長さんの『お帰りなさい!!!』の本当に温かな歓迎のお言葉に感動しました。また57歳の両新人市長さん、新鮮で力強く、しかも明るく、地域の活性化や地域づくりに取り組む姿勢に接し、時間を忘れるほどの交流会でした。

橋本豊後大野市長

また久住高原荘の料理は、食前酒のカボスリキュールから13品全てに竹田市、豊後大野市、の食材を使った見事な美味しい料理で、女性の皆様感激の一言!! 二次会も30人程で予定時間を大幅に超過するほどの盛り上がりでした。

漆黒の夜空に輝く星座を一人で眺める姿も美しく、ヒゴタイの花を見ながらの露天風呂、ふるさとを満喫した第1日目でした。

9月10日

清々しい高原の朝、雲海に頭を出す阿蘇山、素晴らしい景色です。

今日は観光と地域のふれあい班と、地元有志と県人会合同ゴルフコンペ班の2班に分かれての行動です。

観光コース 

<竹田市>

 

白水ダム

白水ダム…「ダムの芸術品、ため池の女王」と称される白水ダムは、昭和13年農業用水利施設として建設された。ダム堰堤基礎岩盤が弱いたに堰堤勾配を緩やかにし、石積み構造として、基礎の弱さをカバーした。壁面を流れ落ちる水がレースのような模様を描きだす姿は、芸術品さながらの美しさを見せてくれました。(国指定重文)

 広瀬神社、殿町武家屋敷跡、歴史の道、廉太郎トンネル、銘菓三笠野…江戸時代の街並みや、明治の激動の時代に爽やかに生き抜いた広瀬武夫を祀る神社、数多くの名曲残した瀧廉太郎等を、想いながらの散策、廉太郎トンネルでは、皆で「花」の歌を合唱しました。想い出に残る1シーンでした。トンネルを出ると銘菓三笠野の工場が! 工場からの甘い香りに誘われて店内に! 三笠野のパッリとした衣の香ばしさは、ここでしか味わえない。沢山の持成しをいただきました。参加者の方々から、岡城址の見学をコースに入れなかったこと残念だった、とお叱りを受けました…。

<豊後大野市>

原尻の滝

「東洋のナイヤガラ」原尻の滝を眺めながら昼食を道の駅でいただきました。地産地消のふるさとを十分味わえるお弁当とだんご汁は好評でした。

朝倉文夫記念公園…先生がこの地を選び建設したといわれる公園、広々とした公園と、あちこちに点在する2年に1度開催されるアジア彫刻展の優秀作品、先生の作品60点を展示する記念館、谷中の朝倉彫塑館3F(敷地400坪)にある作品のすべてが、ここ朝地にもあるそうですが、ハイクラスの芸術を静かに鑑賞できました。

地域高規格道路 中九州横断道路…大分米良ICから熊本市内を結ぶ全長120kmの道路です。犬飼~大野間13kmが2007年に開通し、大野~竹田12.3kmが建設中です。竹田~熊本県境約20kmと大分~犬飼16kmは計画区間の段階です。過疎地域が活性化を目指すためには、社会資本の充実が必要です。

朝倉記念公園を後にして、大野ICから犬飼ICまで13kmの供用区間を時速60kmで走り抜けました。一日も早い時期に熊本まで整備されることが、竹田、豊後大野地区の課題でしょう。

<大分市>

広瀬知事

大分全日空ホテルオアシスタワー…今日の歓迎交流会会場です。在京県人会80名と地元参加者約90名、合計170余名の交流会と成りました。地元から広瀬知事はじめ各部局長、12市町村長、4経済団体、12商工会議所・商工会、8農業漁業団体、5報道機関、県内元気企業7社、パーティご協力企業5社、おおいたプロスポーツ競技選手4名の皆さん、アトラクション日田祇園囃子保存会の皆さんに歓迎されました。

おおいたプロスポーツ選手と

料理は口蹄疫から免れた豊後牛ステーキ、豊後水道から水揚げされた新鮮な魚介類、郷土料理、地元産アルコールを存分に楽しみ、いただきました。

交流会最大の目玉は「大分の底力」と題して県内元気企業各社のプレデンテーションでした。若い起業者の自信に満ちたお話は、きっと全国を制覇し、世界に羽ばたくでしょう。

私ども県人会が何かの役に立てばと思う交流会でした。

二次会も盛況でした。都町のワインバーに集い、懇親を深めました。

9月11日

「ふるさと大分訪問の旅」最終日

昨夜のたのしい歓迎交流会、ワインバーの二次会と皆さん、ちょっとお疲れ気味の朝です。今日も快晴、予報によれば最高気温は36度とか、朝から暑い。

定刻全員元気にホテルを出発。大分ICから大分道を西へ、玖珠ICを出て、道の駅玖珠で買い物タイム。安くて新鮮なものが多く沢山買い込む。カボスがなくて残念でした。

<中津市>

新貝中津市長(右)

一目八景を車窓から観ながら青の洞門をへて、耶馬溪羅漢寺に着く。中津新貝市長はじめ観光協会の大勢の方々のお出迎えを受け、歓迎のご挨拶をいただいた後、羅漢寺へケーブルリフトで上る。大化元年(645)に法道仙人が修行したのが始まりと言われています。

「ふるさと大分訪問の旅」締めくくり食事会 中津「筑紫亭」鱧料理

旅の想い出の大きな要素のひとつは食事です。今回の旅の締めくくりは、「筑紫亭」の鱧料理だ!と中津市出身会員の強い推薦をうけ、女将社長の土生(はぶ)かおるさんの特段のご配慮をいただき、鱧料理の昼食をいただきました。筑紫亭は明治32年創業の純木造建築で、建物自体が登録有形文化財に指定されています。また第2次世界大戦中は宇佐海軍航空隊の御用達「紫雲荘」として使用されていたそうです。

筑紫亭の離れの床柱や鴨居などに残る深い刀疵は、出撃前夜の特攻隊員のこころを垣間見る、私共は忘れてはならない事実であります。

作家城山三郎氏は再三この部屋を訪れ、この刀疵を摩り涙したと、お聞きしました。城山氏は著書「指揮官たちの特攻」(新潮文庫)で筑紫亭とこのことを詳しく述べています。

銘菓[けんちん](筑紫亭)をたべて、残りスケジュールの2箇所をめざして出発しました。

<豊後高田市>

大分北部中核工業団地…中津ダイハツ工場は車窓見学した後、大分北部中核工業団地へ向かう。広々とした工業団地のほとんどの区画はすでに稼動しているが、まだ残りのいくつかの区画は企業誘致中でありました。中津~日田ICまでの地域高規格道路も政権交代の影響で進捗が遅れていますが、大分県北の地域活性化には欠かせない施策でしょう。

<田染荘>国重要文化的景観(田染荘小崎の農村景観)

最後の訪問地豊後高田市田染荘小崎の農村景観の見学です。

永松豊後高田市長(左)

永松市長から歓迎のご挨拶をいただきました。田染荘は「11世紀前半に村落及び農地が開発された」とされ、現在も中世荘園集落の姿を色濃く残しています。私たちはふるさと大分訪問の旅の最後に、このふるさとの原型に触れ、忘れることの出来ない風景を、そしてふるさとの温かい笑顔と心をいただいて、旅が終わろうとしています。

この旅行、県庁はじめ市町村、観光協会等県民の皆様に、大変温かいご支援ご協力をいただきました。今後とも「ふるさと大分」を忘れることなく故郷愛を深めてまいります。

ありがとうございました。

参加者全員厳しい暑さと、強行スケジュールにもかかわらず、元気で楽しく過ごしていただいたことに、心より感謝申し上げます。

在京大分県人会 事業委員会